田川市後藤寺バスターミナルの歩道橋
田川市の旧後藤寺バスターミナル前にある歩道橋が、老朽化のため、2021年7月に撤去されるそうだ。
歩道橋が撤去される前に、現在の姿を写真に残しておきたいという地元の声があると聞き、撮影を買って出た。
日本に初めて歩道橋(横断歩道橋)が設置されたのは、愛知県に1959年(昭和34年)だそうだ。
急激に車が普及し始めた昭和30年代後半から、交通事故対策として全国に「横断歩道橋」の設置が始まったということである。
歩道橋建設のピークは昭和40年代とのこと。
翻って、後藤寺バスターミナル前にある歩道橋が建設されてどれくらい経つのか知りたくなり、田川県土整備事務所に問い合わせてみた。
古い記録が残っていないため正確な年月は不明だが、昭和47年のゼンリンの地図には歩道橋の記載は無いが、昭和48年の同地図には記載されているということで、恐らく昭和47年~48年に建設されたのではないかとのことだ。
(県議会議員さんのブログで昭和46年に建設されたとする情報をいただきました。ありがとうございました。)
まさに歩道橋建設ラッシュの昭和40年代のことであった。
建設から約50年も経てば、腐食などの経年劣化も深刻だろう。
(同じだけ、いやそれ以上生きている私は、まるで自分を見るかのようだ。)
古びた歩道橋をただ写したままでは面白くないと思い、少し年代を強調するような現像をしてみた。
そして、撤去される歩道橋とした写真をFacebookに投稿したところ、思いがけずたくさんのコメントをもらった。
その反響の大きさに驚いたのと、コメントの内容を興味深く感じたので、大まかに3つの傾向に大別されるコメントをここで紹介する。
①歩道橋撤去は悲しい寂しいのしんみり系
「新しい歩道橋は設置されないんやろね
悲しき過疎化」
「表面がかなり錆びてて、ここ数年は恐くて通れなかった。
でも、最後に勇気を出して登ってみれば良かったなぁと後悔してる…上からの風景はもう見れないんだよね」
「この陸橋は私も数えるくらいしか使ったことはありませんがそれでも悲しい出来事です。」
「寂しいけど!」
「まじすかーーーーー
さみしいですね。。」
「西鉄バスに乗ってこの歩道橋が見えたら『あー街(笑)に来たー』と実感したものです。
鼻の奥がツンとする写真をありがとう」
②歩道橋の利用者は少なかった説系
「いつかそんな日が来ると思った
ターミナル無くなったし、誰も通らんし意味ない
歩道橋のぼらんで、下の道路横切る人が多かった」
「子供の頃から歩道橋通った記憶が無いなぁ!」
「そういえば1回も渡ったことない…」
「実はこの歩道橋好かんやったんよね…
帰りは歩道橋を渡らずに、福銀後藤寺支店側の信号が青になった時にさっと道路を渡ってた」
「お年寄りがあの歩道橋を渡ってるのもまぁほとんど見たことなかったな…
気分害する人もいるだろうけど、“地震国”日本には歩道橋は合わないコンテンツだと日頃思ってるんで僕は撤去に賛成」
③歩道橋はともかく近くの飲食店や映画館の思い出語り系
「ホームラン食堂一昨年まで時々開いてました。一昨年チャンポン食べたけど、美味しかったです!!」
「ホームラン食堂は(写真に)まだ字が見えるね、チャンポンが美味い店。」
「ホームランは四年前食べたのが、最後やったなぁ!」
「素朴なチャンポンやった!」
「ホームランのチャンポンは小学校の夏休みに帰省した時、市民プールに行った帰りとかに母親が『ここのチャンポンがいちばん美味しい!!』ということでたまに連れて行ってくれた」
「松井のミルクホールやらなかよしのお好み焼き美味しかったなぁ!」
「なかよしのチャンポンなら田川病院の4階食堂に行けばまだ食える。」
「幼稚園の頃から西鉄バスで後藤寺の幼稚園に通園、後藤寺の小学校に入学、高校通学でも使って、勿論映画はターミナル、思い出の詰まった場所」
「バスを待つ間に映画館に上がる階段の壁に貼ってるスチール写真を見るのが好きだった」
「高3の時にターミナルで『戦場のメリークリスマス』が上映されて、デヴィッド・ボウイや坂本龍一のスチール写真が格好よかったんで『上映が終わったらもらえませんか』と丁重に頼んだ(つもりだった)けどすげなく断られた」
「ポスターは売ってくれてたよ。
幼稚園時に東映まんがまつり?を見に行くのに(友達の)兄ちゃんが付き添いで来てくれた時、兄ちゃんがターミナル会館の事務所に行って『エルビス・オン・ステージ』のポスターを買ってた。」
「後藤寺は幼い頃は最も近くの都会でした。
ターミナルの映画館、レストラン、いろいろありましたね。歩道橋はそんな後藤寺のランドマークでしたわ。
そういえば、ターミナルの映画館で犬神家の一族。観たなぁ。」
「ターミナル劇場で、スターウォーズもみたし、宇宙戦艦ヤマト、宇宙戦艦ヤマト2など、昨年亡くなった叔父さんに連れて行ってもらった
地下にうどん屋があったし、通勤通学でいつもいっぱいだった高校時代は、歩道橋を使って撮影してたこともある。
懐かしかったなあ」
歩道橋が無くなると、昔の記憶が変わってしまう。
コメントをくれた友達は、ほぼ田川出身者もしくは田川に住んだことがあるひとたちだ。
内訳は、田川市郡住みが30%・田川近郊住みが同じく30%・県外住みが40%。
コメントを読むと、どうやら歩道橋はそれほど利用されていなかったみたいだ。
なぜ架け替えをせずに撤去するのか、田川県土整備事務所のひとに尋ねたら、
①人通りも車の通りも以前にくらべてかなり少なくなり、バスターミナルが無くなってからは、利用者がほとんどいなくなったこと。
②少子高齢化社会となった現在、その高齢者にとって歩道橋は利用しづらいこと。
という「歩道橋が利用されていない」ことがその理由だった。
(ちなみに歩道橋撤去後は、下に横断歩道ができるそうなので、迂回せずに道路を渡れる。)
それにしても、ほとんど利用していない、もしくは利用した記憶のない歩道橋が無くなるのを悲しむというのはどういうことだろう。
利用できなくなることが悲しいのではなく、見慣れた歩道橋のある風景が無くなるから悲しいのだと思う。
歩道橋が撤去された風景は、もう昔の風景ではない。
まるで大事な思い出と記憶が塗り替わってしまい、無くなっていくような、そんな心もとない感じだろうか。
歩道橋撤去自体の話題より、ホームラン食堂や今は無きターミナル会館にあった映画館の話題がひときわ盛り上がったのは、昔の思い出と記憶を掘り起こして、記憶が薄れてないか確認し、安堵したい気持ちの現れか。
私にとっての田川市後藤寺は少し遠く、歩道橋に登った記憶はないし、思い入れもない。
正直なところ、歩道橋の撤去に何の感慨も覚えない。
それより、ホームラン食堂のちゃんぽんが気になってしょうがない。