36カメラについて
36カメラのウェブサイトを閲覧してくださって、ありがとうございます。
私は、出張撮影専門カメラマン兼デザイナーの吉松清美と申します。
このページでは、私がプロのカメラマンとして仕事を始めるまでにたどった長い回り道を、エピソードを交えてご紹介させていただきます。
フィルム交換ができない~カメラの経歴をシャットダウン
小学生だったある日のこと、母が突然、地元田川にある香春岳の絵を描きに行こうと、香春岳が一望できる鏡山地区まで私と妹を連れて出かけました。
母娘3人、田んぼのあぜに並んで座り、スケッチブックに水彩絵の具を使って香春岳を写生。
母が描いた香春岳は、私の目に映る香春岳とは別物でした。
目を凝らして木々の緑に覆われた香春岳を見つめても、ピンクや紫、オレンジ色に赤といった色は全く見つかりません。
実物との違いを指摘すると母は、「ママはね、目で見て、心で感じた香春岳を描きたいんよ」と言いました。
当時の幼い私には、心で感じるとはどういうことかさっぱり理解できませんでしたが、母の描いた香春岳がとても美しかったこと、大人になった今でも瑞々しく鮮明に思い出せるほど心に強く響いた絵であったことだけは確かです。
一方父は小学生の私に、PENTAXの一眼レフカメラを渡して、唐突に、写真を撮ってみろと言いました。
ここがファインダー。ファインダーを覗いて、ここを回してピントを合わせる。シャッターボタンはここ。
父が大事にしている高価なカメラを壊すんじゃないかと、緊張して恐る恐るシャッターボタンを押したことを覚えています。
何度かシャッターを押すうちに慣れてきて、いろんなものを撮ってみましたが、楽しかったのはそこまで。
入っていたフィルムを撮り切って、フィルム交換の手順を教えてもらったのですが、何度やってもうまくフィルムを歯車に嚙み合わせることができず、ちゃんと噛み合わせたつもりで蓋を閉めて巻き上げようとしてもレバーが動かない。
確かめたくても蓋を開けたら露光してフィルムが使い物にならなくなるんじゃないか、不安と焦りで汗なのか涙なのかわからないもので目がかすみました。
何本かのフィルムをダメにして、父からこっぴどく叱られて、始まってもいないカメラ経歴を、自らシャットダウンしたという苦い思い出があります。
グラフィックデザイナー、動物看護士、ネット通販、そして同窓会で再起動
私の両親は、美術やクリエイティブな仕事とは全く無関係の事業で生計を営み、二人の娘を育て上げました。
その後私は、両親から勧められたわけではなく(むしろ大反対され)、自らの意思で北九州にあったデザインの学校で商業デザインを学び、グラフィックデザイナーとして仕事を始めました。
しかし数年後、田川に住む両親の求めもあって実家近くに引っ越し、それまでしていたグラフィックデザインの仕事が田川では見つからなかったため、家業を手伝ったり、犬や猫など動物好きが高じて動物病院の看護師の仕事をしたり、インターネット通販の仕事をしたりして、時を重ねていきました。
そうした経緯を経て地元に帰り、通販の仕事をしていたころ、インターネットを通じて高校時代の同級生が活動している同窓会の存在を知り、役に立ちたいとの思いで参加することにしました。
同窓会で担ったのは、同級生や母校の卒業生に向けた、インターネットを使っての情報発信です。
具体的な役割としては同窓会のウェブサイト運営ですが、通販サイト運営の経験からも、サイトにおける写真の重要性というものを嫌というほどわかっていました。
同窓会の様々な行事や活動などをサイトに紹介するのに、写真があるのと無いのとでは大違いです。
しかも、かつてデザイナーをやっていたのて、掲載する写真のクオリティも妥協したくありませんでした。
スマホで?コンデジで?いや、一眼レフカメラで撮った写真を掲載したい。
誰が撮る?いない?じゃあ、私が撮るしかない。
フィルムを装填できずに強制終了したカメラ経歴の再起動となりました。
35年ぶりに私が手にした一眼カメラは、35年前の父のカメラとは全く違いました。
かつて失敗を重ねてダメにしたフィルムは、何度も撮り直しができる挿入も簡単なメモリーカードに。
代金がかさみ時間がかかるカメラ店での現像は、パソコンソフトのLightroomやPhotoshopを使ってすぐに自分で好きなように現像ができる。
幼い頃、自分の不器用さで諦めたカメラと写真への憧憬が、現代のテクノロジーでよみがえる気がしました。
プロのカメラマンとして
初めても同然の、レンズ交換式一眼カメラを手にした私は、同級生を、花を木々を、風景を、夢中になって撮りまくりました。
約2年間の間に活動した同窓会で撮影した枚数は、7万枚を超えました。
どうやって撮ったら印象的に撮れるのか、どうやって撮ったら喜んでもらえるのか、どうやって撮ったら心に響く写真が撮れるのか。
仕事でもないのに写真を撮ることにのめりこみ、ライフワークになっていくのと同時に、かつて幼い私には理解できなかった、「目で見て、心で感じる」という母の言葉を、カメラのファインダーを覗くたびに反芻している自分がいました。
そうして撮影した写真を、友達が、同級生が、喜んでくれる。
これが私のやりたかったことだと、やっと気が付いたのかもしれません。
その後、もともと続けていたネット通販の仕事でも商品撮影を始めて、ケーキショップの商品とモデル撮影、ペットの撮影へと仕事としての撮影経験を重ねていきました。
しかし、私はまだプロのカメラマンとしてやっていく自信はありませんでした。
どんな仕事もそうですが、写真撮影を仕事として請け負うからには、結果を出さなければなりません。
撮影した写真をお客さんに満足していただくことはもちろんです。
しかし、もっと具体的で目に見える結果を出したいと考えていました。
目に見える結果とは、撮影した写真の商品がお客さんの目に留まって売れること。
しかし、私が撮影した写真で本当に売れるのか?
この不安が自信に変わったのが、ブリーダーさんから依頼されて撮った仔猫たちの写真です。
動物看護士の経験もあり、猫や犬が大好きな私にとって、仔猫の撮影は願っても無い仕事でした。
どうやって撮影したら可愛く撮れるのか、その仔猫を飼いたいと思わせる魅力的な写真を撮るにはどうしたらいいのか、夢中になって考えて、撮影をしました。
そうして撮影をした仔猫たちの写真は、多数のブリーダーさんが登録して仔猫を直販しているポータルサイトにおいて、高確率でコンバージョンにつながり、撮影依頼をしてくれたブリーダーさんから高い評価を受けたことが大きな自信になりました。
こうして私は、プロのカメラマンとして写真を撮っていくことを決意しました。
「36カメラ」という商号
写真撮影を仕事にする。
そう決めて、このサイト制作を依頼したときに屋号を尋ねられたのですが、迷いなく「36(さんろく)カメラ」と答えました。
私は田川高校岳陽同窓会36回生のカメラマンとして出発し、たくさんの同級生のおかげでここまで来れたから、これからもずっとこの気持ちを忘れないよう、「36カメラ」を名乗りたいと思ったからです。
36カメラという屋号にこめた同窓会への想いを、ブログ最初の記事に書きましたのでごらんいただけたら幸いです。
目で見て、心で感じて撮る
長々と私の経歴らしきものを書いてきました。
写真撮影を生業とするまで、大きな回り道をしてきましたが、無駄なことは無かったように思います。
動物看護士とネット通販の経験があるデザイナー兼カメラマンなんて、なかなかいないのではないかなと思いますし(笑)これが私の強みと自負しています。
とくに出張撮影を専門にしているのは、同窓会で生き生きと活動する同級生の輝く姿をたくさん撮ってきた経験から、何かに夢中になっている自然な表情の美しさを撮りたいという想いがあるからです。
スタジオでカメラに向かってポーズを作る想定された写真ではなく、本人さえ知らない自然な表情を撮ることを得意としています。
目で見て、心で感じるのは、その被写体の内面です。
写真にその人の内面まで顕れるように、シャッターボタンを押します。
36カメラがみなさまのお役に立てることを願っています。
どうぞよろしくお願いします。